ヤンゴンLog

ヤンゴン暮らしとその他出来事の記録

実質的に海外人材仲介業の詐欺が多発している件

ミャンマー国内ではコロナ禍の到来以降、海外への人材仲介業者が、出稼ぎを望む労働者から預かった現金を預かり続けたまま、実際には海外に出稼ぎにはいけないと言う事態が多発している。


加えて、ルール上の建前では、借金をして海外人材仲介業者に費用を支払うことは禁じられているのだけれど、実際は、多くの人材がどこからか借りて仲介者に支払っているため、出稼ぎに行く時期が遅れれば遅れるほど、労働者が泣きを見ると言う流れとなっている。


さらに加えて、大手都市銀行の預金金利すら年5%を超える国であるため、どこからか何とか工面した借金の利率はそれどころではなく、この厄災の最中、仲介業者も無い袖は振れぬと言う理屈から返金には応じず、高利で借りた借金が雪だるま式に増え続け事態は深刻化している。


世界同時規模の厄災の最中、誰が悪いと言うことを安易に論ずべきではないが、結局そういう時には弱い者ほど泣きを見ると言う点は世界共通の構造である。


海外出稼ぎ仲介に限らず、依頼する時点では結果が不確定なサービスに対して、日本のような国では先払いが前提とならないことが一般的であるが、
ミャンマーの場合「仲介業者の信用 > 出稼ぎ希望者の支払能力の信用」となる現実があるため、必然的に先払いによる仲介業者も多数成立してしまいこのような問題が多発する。


またこの国では、安易に多重下請けをする商習慣が、エージェンシー問題を複雑化させている点も問題解決が困難になる大きな要因だ。
コロナ禍収束後までに出稼ぎ希望者の借金が膨れ上がり、2年や3年出稼ぎしても借りた金を返せず、行き場のなくなる方が増え過ぎないことを願うばかりである。


ブログランキング・にほんブログ村へ

ビジネスパートナーの選び方など存在するのか?

昨今に限らず海外で仕事をしていると何故かよく出くわす、何だかよく分からないビジネスコンサルタントだったり、ビジネスパートナーを探していると話す海外事業経験の少ない日本の経営者。
つい最近ある知人から意見を求められ、海外で事業の相談をするとしたらどのような方が適切かと言う点について話していたのだけれど、


大前提として、実態の良く分からない人に相談しないと言うことが妥当な選択であり、その場合、呼び名がコンサルタントであろうがパートナーであろうが、
依頼者側に利益が無いまたは損を被ったとしても、依頼を受けた側に報酬が確保されるような条件しか出さない相手は、コンサルタントにもパートナーにも成り得ないと言う点に尽きる。


そもそも海外において邦人向けのコンサルタントやパートナーまたエージェントと称するような業は、業として特殊な面があることを考慮しなければなならない。
例えば、飲食店の場合は対価を払って飲食すると、とりあえず喉の渇きや空腹感すら満たされないと言うことは起こりにくい。これは、悪質なサービスを提供するモノが自然淘汰されるためであり、本来、サービスであれ製品であれ、価格に見合わないモノを提供すれば信用を失い、必然的に業が成り立たなくなると言う極単純な社会の仕組みが機能するためだ。


しかし、海外進出を狙う日本人向けのサービスの場合は少々事情が異なる。
海外で出くわす日本人相手のビジネスコンサルタントのような業では、依頼者は事業に失敗すると、その国や地域から撤退する例がほとんどのため、コンサルタントは依頼者へ成功体験を提供できなくても、次の依頼者へ悪評が伝播するリスクが少ないと言う有利な立場にある。


一般的な業に例えると、価格に見合わない製品や無価値なサービスを提供し続けても、現地では悪評が蓄積されにくいため、そしらぬ顔で事業を継続できる可能性が高いのである。


そのような有利な位置にありながら、依頼者側の成功割合に応じて利益を得ることを条件としない相手を信頼できるのか、考えてみると極めて単純なことであるが、この手の条件を提示できるコンサルタントがあまり見当たらない気がする点が実に面白い海外事情でもある。
(当然ながらご当地で数々の成功例を積み上げた実力者が居れば話は別だが、そういう方は大抵多忙であったり、既に経済的に解放された立場であったりして、これから始まる業の当てになるとは限らない)


2021年にコロナ禍が収束することを期待した上の雑談であったが、見知らぬ土地で初めから他人を当てにしている筋違いな経営者と、そう言う方々をエサに生計を立てる人達の化かし合いはこれからも無くなりそうにない。


ブログランキング・にほんブログ村へ

SDGsが悪い訳ではないのだけれど(今年最後の呟き

何か月か前になんとなく初めたこのブログ、1年の締めがくだらないボヤキになるが、
とある中小企業の経営者から年末のあいさつに来年の思いとして、
SDGs云々、誰一人取り残さない。とか熱いメールが届いたのをみて思い出した。


2020年に、SDGsをやたら多用してた人は、
2010年頃、ソーシャルビジネスを多用してた人と同じ匂いがする。


早速、来年会ったら聞いてみたくなった、今SDGsを語る人は10年ほど前、
ソーシャルビジネスを語ってなかったか?また、そのソーシャルビジネスは実現できたのか?と言う点について、


もちろん、SDGsを理念として掲げることは悪いとは思わない。特に国や大企業など社会的影響の大きな方々が掲げることは素晴らしいことであるのは疑いようがない。


しかしながら、中小企業や個人がそれをやたらと語る場合は、
よほどの覚悟であるか傲慢であるかのいずれかに二分される気がする。
(後は、何も考えず流行りの言葉に乗っているだけの三分かもしれない)


あくまで個人的な考えであるが、もし10年前に掲げた目標が不達成だったなら、
SDGsを語る前に10年ほどでは変わらない持続可能な理念を掲げたいものだ。
少なくとも今流行っている言葉に流されキレイごとを語っている場合ではない。


事業運営していると常に変化を求められるのは当然であるが、行動規範となる理念が流行で変わるような者にはならないように気を付けたい。


ブログランキング・にほんブログ村へ