ヤンゴンLog

ヤンゴン暮らしとその他出来事の記録

ヤンゴンのステイホーム、ほぼ解除されてないよね!?

いやいや今は本当に、この手の情報はみんなが前向きな情報に飢えてるし、
ちゃんとしたソースから正しい情報を伝えないとマジでアレですよね!?



この記事を見る限りは、ごく一部を除いて全然解除されてませんね!!


いや~2020年末間際に、最大ともいうべき本気ガッカリ、なんなんでしょうね?
現代のインターネットってウソ情報も、簡単に本物っぽく見えるから怖い。


今年はSNSの執拗な批判にさらされて、自ら命を絶つニュースも目立った、
特徴的な年でもあった訳ですから、たかが個人のブログでも一人の大人として、
あてにしてくれる誰かに対し、迷惑を掛けないような中身を書きたいものです。


まあ、このブログに関しては暇つぶしに、適当な事しか書いてないし、
ミャンマーにも行けないから、本当にどうでもいいブログなのだけれど。


まあ、変位種確認のニュースが出まくってる先週からの動向も考慮すると、
正しくは、ほぼ解除されてないと言うことであれば、残念だが逆に少し安心か。

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空路再開の目途が立てば後は仕事になるかどうかだけだ

ミャンマー国内は12月16日から、国内線の空路が再開されたそうで、


2021年1月からは国際線再開の見通しも一部で報道されているらしく、
そこには今の所、成田ーヤンゴン便もふくまれる見込みだそうです。


ただ、実際の所は流動的な部分もあるのでしょうし、日本とミャンマー共に、
国内の感染が抑えられていない現状から、到着後の自主隔離は義務づけられるとすると、
あとは、その自主隔離が事実上どのように実施されるのか、この点さえ分かれば、
ビジネス渡航は再開できそうな見通しも立ってきたと言えそうです。


例えば、自主隔離で2週間ホテルに滞在するとして、
ホテル内のカフェやレストランで食事や休憩を取ることは規制されないなら、
近しい間柄の方と急な要件の打ち合わせだけならできないことはない。


仮にそうなれば、もし、到着から数日後にホテルでPCR検査を受けて、
陰性証明ができたら隔離解除。なんていう運用がなされるなら、
もはや自主隔離は渡航の障壁と言うほどの問題ではなくなるかもしれない。


当然ながら現在の感染状況で、新規顧客をつかむための営業活動へお出かけ何て言う
倫理的にも問題になりそうな上、効率の悪い活動をする人はいないでしょうが、
業態次第では、それなりに仕事ができる見通しが立ちそうな明るい兆しだ。


それにしても、ワクチン提供の目途が立つなど、明るいニュースのある今だから言えるが、


コロナ禍の最中に、ビジネスチャンスと捉えて行動を起こし始める人がいたり、
キレイごとを並べて、暗に人を批判するような発言をする人がいたり、
打てる手はあるはずなのに、打てる手が無く思考停止している人がいたり、
実に様々な例を見かけたような気がするのだけれど、


同じ禍を前にしても人それぞれ、立場が違えば物の見え方が全く異なると言うことを、
再認識できる良い機会でもあったと考えて、今後に活かしていきたいものです。


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しばらく日本にいると感じる習慣の違い

先日ふと考えさせられた、ミャンマーで起こることは、実は予測不可能ではないのではないか?と言う点


そんな風に思った後、日本で過ごしていると感じるのだけれど、
日本の市街地の道を歩いていると人は総じて、交差点に差し掛かると信号を確認しながら、青の時だけ横断歩道もしくはその付近で道路を渡る。
加えて言うと、赤信号の前で停止した後も左右からくる車の往来を注視する人はほぼおらず、せいぜい青に変わった直後に確認して渡る程度で、それまでの間は俯いてスマホをいじっていたりする。


対してミャンマーでは、交差点に差し掛かって信号が青なら少し確認して当然渡るが、赤でも周囲の往来を確認してスキあらば渡る。また、信号は青でも突っ込んでくる何かがいる可能性もそこそこ高いから、常に周囲の気配に注意を怠らずに渡り、赤で渡るならなおさらリスクは増すのだからさらに注意しながら渡る。
加えて言うと、自動車か歩行者かに関わらず、現地に来たばかりの外国人の目からは無謀としか思えない角度とタイミングで交差点に進入することは日常的な光景だから、自動車も歩行者も通行中の緊張感は日本の比ではない。


日本とミャンマーの習慣の違いを感じる一コマの話だが、これが実は全てに通じる現象である。日本のことわざでも「一事が万事」なんて言う言葉があるが、まさにその通りである。


従業員一人雇っても、いつも出勤してくるとは限らないし、無断欠勤だなんだとトラブルが起こる頻度は日本国内の比ではない。ましてや雇用契約書なんて大した制約ではないタダの紙切れ同然で、法令が順守されるとは限らない地で契約書面はどちらかと言うとトラブルの際の言い訳の道具でしかなく、自らリスクを取る立場にある経営者にとっては実質的にはほぼ無価値である。


要は、日本に倣ったような理屈や手続きの多くは、中間管理職やコンサルの保身のために存在すると考える方が本質的で、これは日常の買い物から行政手続きまで全てに通ずる傾向である。


落ち着いて考えてみると分かるが、そんなことはとっくに理解できていたのに予測不可能性が高いなどと考え、くだらない手順を追いかけて体裁を整えることに時間を割き過ぎることもあった自分の思考を思い返すとガッカリする。
実は概ね予測できていたにも関わらずなんと馬鹿げた思考だったのかと気づくと本当に恥ずかしい。


そう、交差点を渡る時と同様に常に周囲の気配を察し、最悪の事態が高い頻度で起こることを折り込んだ行動をとれば良かったと言うだけのことだった。
日本ですら交差点で周囲の気配に気を配らず漫然と立っていたら、大事故に会うリスクはゼロではないのに、リスクの高い場所に自ら出て行って、そのリスクの折り込み方が甘かっただけにも関わらず、なんと愚かな思考で行動していたのだろうか。
コロナ禍のおかげで不意に長い期間を日本で過ごす中、少しゆっくり考えることができたのは不幸中の幸いだ。


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