この度の政変、暴力的な行為が正しいとは、もちろん考えないのだけれど、
しかしそれでは、民主主義は本当に善なのでしょうか?
そう言う意味では改めて考えさせられる出来事である。
2010年頃、アラブの春と称されるアフリカ~中東各国で起きた政変については、
当時、現地の様子などニュースでしか知り得ない私は、報道に疑問を抱くことなく、
そのままほぼ正しい情報であろうとして、受け入れていたことを思い出します。
しかし、今回のミャンマーの政変は、様子を知る2015年以降を考えると、
完全な民政移管をキッカケに、政治経済共にブレーキが掛かったかの様に、
変化を急ぎ過ぎたことによる弊害が、多面的に発生していると感じていた。
また、民主主義が長く続いた先進国では近年、民主主義(または資本主義)の限界とも言われる壁が社会全体の閉塞感を生み出していることも否めない。
そんな中、民主主義は本当に地球上の全ての地域にとって、最善な選択であるのか?
もし、民主主義への急転換ではなく、もっと緩やかに民主化が実行されていたら?
遡ることができるなら命が奪われずに済む選択は、きっとどこかにあったはずである。
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日本の言葉にも、必要悪と言う言葉が存在する。
そうで無い方が良いが、全体の調和を保つために、必要な悪も存在すると言う意味だ。
世の中のあらゆる理不尽を取り払い、悪を駆逐し秩序をもたらす。
そんなスーパーヒーローが、永遠に全ての問題を解決してくれるなら、
この世の悪など必要ないと言い切れるかもしれないが現実はそうではない。
世の中、ほとんどの事に共通する話だけれど、何か悪事が起きた時、
悪事を起こした者を取り除けば、次の悪事を防げるとは限らない。
(いや、基本的に取り除いただけでは何の解決にもならない)
この国の(急速な)民主化は、国民の安定と繁栄をもたらすと言い切れるのか?
近年10年間のミャンマーの場合は、
やっとひっくり返った物が、強引にひっくり返されたから、
もう一度ひっくり返したいと言う段階に居る訳だけれど、
そういう争点で、果たして本当に物事は解決に向かうのだろうか?
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